親のせいで勉強が出来ない受験生の例

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murizii

「親が勉強の邪魔をして集中出来ない」

「親が勉強しろと口出ししてきてストレスが溜まる」

「厳しい親なので教え方が完璧主義で辛い」

 中学受験、高校受験、大学受験、または資格取得など試験に受かるには勉強が欠かせません。その為、親の中にはひたすら子供に「勉強、勉強」と言い張り、四六時中勉強させる人がいます。しかし勉強というのは例え勉強時間を長くしても結果が伴うわけでもなく、いい加減な人でも試験に合格してしまうなど不公平な部分が多く見られます。それ故、一概に勉強と言っても、報われるためにはどんな努力をしないといけないのか?その辺について考える必要があります。しかし親の中にはただ一辺倒に勉強をさせる人も大勢おり、その結果悪い結果を導いてしまう事もあります。

 もしこのまま勉強ばかりさせられたら、どうなってしまうのか?

 ここでは教育熱心な親によって四六時中に勉強をさせられ、なぜ勉強がはかどらず、そしてその状態で社会に出るとどんな大人になってしまうのか?そのプロセスをストーリー形式で説明しております。

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勉強ばかりの人生はマズいと分かっていても、親に言いくるめられてしまう少年

osituke

「勉強、勉強ってうるさい!!」

 俺の親は根性論、正論、学歴至上主義のテンプレートを詰め込んだような親だ。確かに日本は学歴主義の面が強く、良い大学に行ければ高卒よりも高い給料がもらえ、大手への就職率も高くなるだろう。

 しかし、勉強ばかりしていれば良いというのは少なからず間違っていると感じている。ニュースでは、頭の良い大学に出ても介護や外食など給料の安い企業に就職し、それで生計が立てれない人が大勢いるのを言っている。そしてそれは就職先の失敗に留まらず、大手に入っても過酷な競争で生き残れず、肩身の狭い思いをし、生活できない人もいると聞く。

 つまり勉強だけの人生というのは、恐らく大学卒業までは通用して、社会に出ると通用しなくなるのだ。俺はその辺について理解したいのだが、勉強以外の事、つまり国数社理など参考書を解く事しか許さない親だと、調べる機会が驚くほどに少ない。これが今の俺の悩みだ。

自分好みの勉強を許さない親

restrain

 勉強が好きな子というのは一生懸命勉強して良い結果を出して喜ぶ。言わば努力した成果が報われる事。実際俺が通っている塾では勉強が出来る人は、新しい知識を身に着けて楽しい。こんな風にすれば覚えられるなど、苦労を楽しんでいる面が見えた。俺も当初、彼らのように自分なりに考えて勉強する事が出来ればと思っていたんだが、親から「この部分をやりなさい」と机の隣で教科書を開いて、このページからこのページまでの内容を丸暗記しろと言ってくるのだ。言わばウチの家庭では「子供が自分で考えて勉強する」というよりも「親の指示に従って勉強する」。そんな決まりが起こっているのである。

 これを強要してくるのはウチの母親だ。ウチの家庭では勉強のやり方については全て母親が仕切っている。勉強熱心の母親だが、勉強のやり方については思いつきで、次から次へとやり方を変え、一貫性が無く、勉強のやり方が定着しない。つまり事実上、親の顔色を伺いながら勉強するスタイルが自然と出来上がり、その時その時にその思いついた勉強法のデメリットを見出して、対処しなければならず、それが原因で勉強が上手くいかない問題を抱えている。

 例えば本来ならこの成り行きを理解する為に、歴史の出来事を覚えるのなら、時系列順にその時代の背景の出来事を理解すれば忘れずらいと思うのだが、ウチの親は年号や事象などを書いたリストを渡して、「これを覚えなさい」と言ってくる。リスト化している事もあり、1つ1つの情報が断片的過ぎて、それぞれがどのようにつながっているのか見えづらい。アニメやドラマでも先週の分を見逃すと、次の話を見ても、話の内容は理解出来るが、何故こうなっているのか理解出来ず、前の情報が気になって覚えられないし、次に進めない。恐らくだが、そんな感覚に陥っている。

 こういう風に母親が推奨してくる勉強に対して、自分なりにやり方を変えようとするのだが、ウチの母親の場合、自分が提唱した勉強法をしていないと「どうして言うとおりに勉強しないの?」と言ってくる。言わば親として自分のやり方を否定された理由を確かめたくなるのである。その結果、勉強の時間は潰れるわ、怒られてストレスが貯まるわ、など逆に勉強がやりづらい。こういう事が毎回続く為、反論しても立場を変えない以上、迂闊な反論は自分の首を絞める事になる為、もう何も言わなくなってしまうのである。

 ちなみにウチの父親は結果主義。つまり「結果を出してからモノを言いなさい」と言い、取り合ってもらえない。ならテストで結果をだし、自分の言い分を通そうと思うのだが、テストで良い点数を取ると「あたしの勉強のおかげ」と母が言い、話にならない。そもそも勉強のやり方というのには答えが決まっていない以上、俺が推奨する勉強法が必ずしも正しいとは言い切れないし、そして母親が推奨する勉強法が必ずしも間違っているとは言い切れない。だから親と子の力関係の差で親の言い分が通ってしまうのである。結局、全ての勉強のやり方については母親が全て決める事になり、自然と勉強の仕方が丸暗記による詰め込みと長時間による勉強が主流になってしまうのである。

 長時間による勉強、夜遅くまでの勉強、そして疲労と睡魔による思考力の低下、そしてそれに耐えながら勉強しなければならないストレスなどでテストに集中出来ず、良い結果が出せず、親に怒られ、もっと多くの問題を解かせられるという悪循環に陥る。正直、ウチの親が子供の意見を聞いてくれる瞬間は、何かしらの悲劇が起こった後にしか通じない。例えばあまりにも深夜までの勉強がたたって、テスト中に眠ってしまい、それが原因で「テスト前日は夜中1時まで」と時間制限を設けるようになった。それ故、自分の言い分を通したいのであれば、何かしらの一度犠牲を出してからでないと、自分の勉強法は築けないのだ。

いくら勉強して良い点とっても褒めない親

NoResponsibility

 ただこういう勉強のやり方だけでなく、日頃から俺に向けられる言葉にも勉強する気持ちを滅入らせる。例えば、

「あんたを塾に通わせるのに一体どれだけの金を払っていると思っているのよ!!」

「また間違えた。これで何回目?いったい何時になったら覚えるのよ!!」

「今日はこれが終わるまで寝かせませんからね!!」

「そんな頭の悪い子に育てた覚えはありませんからね!!」

「出ていけ!!」

 正直、こんなの毎日を聞かされていると、勉強だけでも辛いのに、更に精神的に参る事になる。ただその場で寝る事も、食事の権利も向こうが握っている以上、逆らう事が出来ず、結局聞き入れるしかない。もしこれが辛い経験を経て、良い結果が嬉しい経験へと変われば、まだ救いはあったかもしれない。しかしウチの家庭では良い結果を出しても苦しい経験へと変わる。例えば99点。つまり満点まであと1問正解だった時の場合だが、

「あんた一体何をやっているのよ。この問題の解答の仕方は、3日前あれだけ教えたでしょ?

どうしてあなたはこういうあの一歩ところで躓くの!!

母さん、悔しくて悔しくて泣きたくなる!!

と多分、99点が1番母親をヒステリックにさせる点数で、正直満点が取れないと分かれば、わざと90点を取って怒りを抑えるよう点数操作をした方が良いのではと本気で思う事がある。

 ただ、「じゃあ、100点が取れるよう頑張ればいいじゃん」と思うかもしれないが、その考えは甘い。何故なら実際に100点を取った時、「次もこのくらい頑張りなさい」とその一言で終わってしまうのである。本来、自分の言い分を通したいのであれば、結果を出してからモノを言えと言う人もいるが、結果を出しても聞き入れてくれない人も確かに存在し、そのうちの二人がウチの親なのだ。苦しい思いをしてやっと出せた満点なのに、「はい、では次もこのくらい頑張って」と言われ、勉強のやり方を自分なりに工夫したいと言っても、「何でそんな事が言い切れるのよ」と言われ、褒めないどころか、一向にやり方を変えない親の態度には怒りを通り越して、呆れたもんだ。

 悲劇はそれどころにとどまらず、100点取った時の勉強の仕方で覚えやすいように絵に描いて覚えた事があったのだが、「では全科目、絵を描いて覚えよう」とか言いだして、国語の漢字ですら、絵で描いて覚えようとか言いだして、逆に悪い点数を取った事がある。しかもそれは1度や2度だけでなく、「気分転換に教科書の逆から勉強しよう」とか言って、今まで始めから覚えていた歴史の年号を逆から覚えさせられたり、「声を出して覚える」という方法では数式の解説内容まで声を出して覚えさせられるなど強要してくるのだ。つまり100点を取ると、不適切な勉強法であるにもかからず、強要され逆効果になるというデメリットがあり、一概に満点を取れば解決するというわけではないのだ。

 こういう勉強で良い成績を出しても喜ばない勉強を繰り返していると、不思議な事に何点取っても落ち込まなくなるし、何を言われても気にせず聞き流せるようになる。だから良い点数を取っても、悪い点数をとっても気にしない。とりあえず家に帰って、親にテストの点数を見せて、言われる事をひたすら聞き流すだけ、それがウチでの家族との会話だ。

「あなた。他の子に負けて悔しくないの?」

 もうそんな感情なんか死んでいるよ。酷い言い方だが、テレビで殺人事件が起きて被害が出ても怒りも悲しみが湧かないくらい心が死んでいるよ。勉強が出来る子に「こいつにだけは負けなくない」と競争心を武器に良い成績を出す人がいるが、俺にはそんな勉強法は通じない。

 その為、当初はこの無感情を強みに、いくら勉強しても苦にならないと、長時間勉強できるのではと期待したが、流石に長時間の勉強は疲れるし、眠くなるし、感情と体力は別問題だと思い知らされる。それ故、この強みを勉強の方にいかす事は難しそうだ。

勉強ばかり優先させて孤立化させる親

korituka

 こういう親である以上、勿論「遊んでいる暇があったら勉強しなさい」と言う親である。巷では遊びを禁止にしても勉強の成績が上がらないと言っている所もあるけれど、ウチの親は聞く耳持たず。まぁ、科学的根拠のない事には信じる事は難しいし、勉強する時間や解く問題量を増やせば成功すると信じて疑わないのだろうな。

 だが、そのせいで友達の話にはついていけない。

 最近のやはりのゲームやアニメをしない事は勿論、バラエティー番組やスポーツなども見る事も許してくれず、テレビの話題で話せるのは夕食時に見るニュース番組か天気予報くらいである。正直、学校には行くけど、それ以外の時間はひきこもりと変わらないくらい部屋で過ごす為、頭の中には入ってくる情報量が限られている。オリンピックやワールドカップ、また今やはり芸能人のお騒がせ騒動の話題は一応ニュースで聞く為、その辺の話については理解出来る。しかしそのほとんどは、「具体的にどういった内容だったの?」とニュースでは語られていない細かい情報を聞くだけの話で、1回目は話せたとして、2回目以降の同じ話題はもう俺は聞くしかない状態になる。更には必ずしも友達と話す内容がニュースで見た内容とは限らない為、それ以外の話題は話の中に入っていけず、結局聞くしかない状態に陥る。

 俺は今までクラスの皆と馴染めず、それが原因でイジメられるような人を何度も見てきた。その故、クラスで仲間外れになるという事は学校においては死活問題である事を肌で感じていた。ただ幸いにも俺の場合、親に勉強を強要されている事を事前に話し、どのご時世でも親に対する不満というのは誰もが感じる共通の話題であり、それで学校生活を乗り越えていった。

 例えば、ウチの親は学校や塾で知り合った奥さん方を家に呼んで、自分達の子供の勉強について情報共有する事がある。そして話題は大声で自室にこもっている俺の部屋にも聞こえてくる。んで四六時中、勉強をさせられているので、親がいない時に休まないと流石に長持ちしないのだが、「ウチの子は目を離すと、すぐサボろうとする」とか言って、あたしがいないと駄目ねと言って自分の必要性を訴えてくる。正直腹立たしい。

 他にもテストがある度に、子供の点数や他の子の点数について話し合ったりするのだが、俺にとっては同級生が日頃から親にどんな報告しているのかを知る事が出来る。例えば「俺満点だったぜ」と言っていた学級委員長の点数が本当は何点だったのか知る事もあったし、塾で本当の点数を見ているから誰が親に嘘の点数を報告しているのかが分かるし、更には顔も名前も知らないのにA君の隣の席に座っている子が何点だったのかも知る事がある。

「お前、何で俺達の点数知っているんだよw」

一時期、学校ではそう言われた事があり、そんな情報網を俺は持っている事から、親が自分達の事をどう思っているのか?そんな話題で皆との輪をつないでいた。

 こういう勉強による苦労話で友達との会話は何とかなっているが、話せるカテゴリーが少ない為、限度がある。スポーツ、旅行、あるいはアニメの話題など、俺は全然知らない。友達と話していて思うのだが、みな夢中になる程の話題を何か1つは持っている。上手く言えないが、共通の話題を持つと、親睦が深まると言うか、仲良くなっていく印象がある。そして無趣味の俺は事実上、これ以上友達と仲良くする事が出来ない。そんな壁を感じさせる。

 こういう事もあって、勉強だけでなく、せめて人気番組の1つくらいは見たいと思っていたが、勿論親はそんな事は許さず、その事について何度も衝突した事はある。ただ最終的には

「家族と友達。どっちが大事なの?」

とそう言って話は平行線をたどり、一向に譲らず、結局何も変わらない状態になる。結局のところもこれもいつもと同じように、もう諦めてただ従うだけでいいやと抗うのをやめた。

友達だけでなく、勉強仲間を作るのも許さない親

 こういう話を聞いていると、では遊び仲間ではなく、勉強仲間ならどうなの?とそう感じる。言わば、学校での友達作りが上手くいかないのであれば、勉強の知識を共有する勉強仲間の線で友達作りを目指してみればという話だ。

 実はこの辺についても考えた事があり、失敗している。

 というのも通っていた塾は得意科目同士でグループを作る事があり、俺も始めの頃はそのグループの中に加わる事が出来た。ただウチの家では塾にいると友達と話しているだけと思われている為、勉強仲間と言っても親からしたら結局遊び仲間と思い、「授業が終わったら、早く帰って来なさい」と門限まで決められていて、結局早く帰らないといけなくなる。そして帰ってからは親が決めた部分の勉強をしないといけない為、勉強仲間とする範囲を決める事が出来ず、結局孤立化してしまう状態になっていた。

 そもそも勉強仲間というのは自分の成績を上げるには必要不可欠な存在だと思っている。その1つの理由として、自分が知り得た知識の再確認という上で頼りになるからだ。

 例えば「雰囲気(ふんいき)」の読みだが、俺は当初「ふいんき」と言っていて、友達に指摘された事がある。他にもよく読み間違える漢字として「早急(そうきゅう)」というのがあって、ずっと「そっきゅう」と読んでいたり、友達と会話すると結構間違っている部分が多い。つまり仮に他の誰よりも多く勉強したとしても、自分1人だけだと間違ったまま覚えてしまい、気づかない可能性があるという事だ。

 これを親に指摘しても「あたしが見ているんだから大丈夫」と反論するが、正直母親も間違って使っている事が多いし、そのミスも友達から指摘されて気づく事が多い。例えば、「餅は餅屋に聞け」とよく言うが、これは正しくは「餅は餅屋に」であり、”聞け”という部分が入っていないのである。親が間違っているという話も良くあるが、ウチの親の場合、一向に自分の非を認めない厄介な部分がある。先の「餅は餅屋に」という部分でも「そんなわけないでしょ。だって他の人達だってちゃんと使っているもん。」と言って、まずこちらの言い分を聞かない。少し言い争いになって「そんなに言うんなら調べてみたら」と言って、ネットで検索して、そして始めて「あら、ホントだ。」と言って、やっと自分の間違いを認めるのである。

 更に親の時と子供の時の勉強は大きく変わっていて、それによる差異の間違いが目立つ。

 例えば、「日本で一番古い貨幣は?」と訊かれたら、誰もが「富本銭」と答えるが、ウチの母親に至っては「和同開珎(わどうかいちん)」と答えていた。どうやら1999年に富本銭が発見されていた事を忘れていたらしくて、当時母親が覚えていた一番古い貨幣、和同開珎と言わなければ怒られていた。

 他にも鎌倉幕府が出来たのは1185年なのに、母親が「1192(イイクニ)作ろう鎌倉幕府でしょ!!」と言ってきたり、大化の改新も646年なのに、昔の645年と言ってくる。どうやら昔親が覚えた年号の語呂合わせで答えているのだが、長い月日が流れ、教科書の内容も変わり、それに気づかず、昔の知識で俺に教えてくる問題が起こっていた。

 他にも勉強は勉強の出来る人に聞いた方が早い。

 歴史の問題でもいちいち教科書を読むよりも、そのテキストを既に読み、そして要約できる人、または教科書に載っていない歴史的背景などを答えられる人の方が正直分かりやすい。「大政奉還」なんて文字を読んでも何を言っているのか当時分からなかったし、教科書を見ても、「大政」を朝廷に返上するしか書かれていなかったし、何これ?と思っていたが、友達が「慶喜が”西の連中が俺達を倒そうとやってくる。これじゃ、日本人同士殺しあう事になるよ。外国の侵略に耐えられないじゃん。こうなった権力を返上して争う理由を無くそう”としてやったのが大政奉還」と言ってくれて、今思えば酷い簡略の仕方だと思うが、これが結構当時の俺からすると助かった記憶がある。

 それ故、1人での勉強はそんな仲間との再確認や勉強のコツを得る機会を奪う事になる為、間違った知識や偏った知識になってしまうリスクがある。更に親の古い考え方まで受け継ぐ事になる為、本来勉強ばかりの人生を歩んできた自分の最大の強みである勉強ですら社会から受け入れられないモノになってしまうのである。

将来、俺はどうなるのだろう?

tenacity

・親の思いつきの勉強法につき合わされ、自分で考える事を放棄⇒「主体性の欠如」

・99点や100点を取っても嬉しくなく、何も感じなくなる。⇒「感受性の欠如」

・話題性が無い為、人とのコミュニケーションが上手くいかない。⇒「孤立化」

 上記の3つが原因で俺は自然と何も考えずにただ言われた事をする機械のような存在になっているような感じがした。コンピューターのように知識を頭に入れる事はあっても、自分の意志でそれを引き出す事がない。そして結果を出しても喜ばず、悲しまず、ただひたすら作業に没頭し、誰とも分かち合うことなく時を過ごす。そんな人生を送るのだろうなと感じた。

 そんな俺の将来像とも思える人を偶々親戚同士の集まりの時に出会った。就活に失敗した高学歴だけど、低収入の企業に就職した入社3年目の社会人の兄貴だ。

 俺はそんな兄貴に「勉強していれば報われる人生を送れますか?」と訊いてみた。

 そして彼の答えは”NO”だった。

 確かに学業は大学卒業までは評価してくれるが、それは答えがあるからで、社会に出ると答えのない事に力を入れなければならない。その為にも人が何を求めて、このままではいけないと本気になり、そして色んな人と話しあって、協力して成し遂げなければならない。彼は相手の気持ちに立って話せるほどのコミュニケーション能力がなく、ましてや自分で考えて必死になる事もない。だから社会で求められる事が何一つ出来ず、面接でも意欲を示す事が出来ず、結局流れ着く場所に流れ着いただけだった。

 報われるとは人によって差はあるが、少なからず”自分がやってみたい事を実現する”。これに該当する。そして彼も俺と同様やってみたい事がなく、そして他人の夢に貢献したいという意欲も、意志も無い為、いつまで経っても報われない。

 これを聞くと、主体性が無いから、俺は何かしらやってみたい事が思いつかず、そして感受性が低く、人との話題に入れないから、他人の夢を叶える意思も芽生えない。つまり人に言われるがままの機械のような仕事を永遠と続ける。そんな人生が俺と彼の将来なのだろう。

 実際、彼が働いている企業では、クレーム対応のオペレーターや、取引先からの設計書を作る事を行っている。別にその仕事を悪く言うつもりはないが、客や大企業の命令があってこそ成り立つ業務だなと思った。まぁ、仕事は辛いのは仕方がないし、それは割り切るしかないと思っていたが、その仕事仲間との飲み会でも半ば、仲間外れのような事が起こっている。つまり仕事の息抜きさえも楽しみがない人生を送る事になっているのである。

 飲み会で話す内容は、人によっては違うが、主に好みの女性の話、仕事に対する愚痴、今沸騰中の話題。それが飲み会で話される内容だ。そして共通の話題がある者同士、話が弾むから彼のように好みの女性、仕事に対する不満、そしてテレビを見ないとなると入り込める余地がなく、疎外感を感じさせる飲み会になってしまう。それ故、彼にとって仕事の暇ですら、苦に感じてしまう状態になってしまうのである。

 仕事でのやりがいも、仕事の合間にある暇も楽しめない。それが勉強ばかりして、楽しい人生を送れない人の典型例なのだろうと思った。それ故、もし学生時代にやり直せるのなら、少しでも良いから何か楽しい事を身に着け、それを武器に社会に溶け込めるよう頑張る事をしないといけないのである。

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