体罰やしつけなど、痛みを伴う教育について

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punishment

教師の学生への体罰や、親から子供へのしつけと言う名の暴力。言う事を聞かない事への戒めとして痛みを与える方法はかつて良くありましたが、今ではやりすぎによる自殺や逮捕者が出るにまで至り、見直す声が出ています。

この手の事件がニュースに上がると体罰やしつけの是非について問われると思いますが、賛成派にも反対派にもそれぞれの考えがあり、一概にどちらかに決める事は難しいと思います。

ただ体罰というのは教育であったり、暴力であったり、犯罪との境界線が非常に曖昧なところに位置している事から、1つ間違えれば取り返しのつかない事になりかねません。つまり、体罰をする人は体罰のデメリットを理解しないといけなければならず、それを怠れば悲惨な事件を引き起こす事になりかねません。

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体罰はあくまで管理、教育の一端にすぎない。

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体罰というのは教育というよりは管理の意味合いに近い教育だと思います。例えば子供がレストランやスーパーなどでうるさく騒いでいたり、暴れていたりすれば、叱ったり、または叩くなど抑制の為に行うのであれば効果はあると思います。つまり感情的になったり、理に基づかない行動を止める為の方法として体罰というのは効果はあると思います。

ただし、それだけだと相手の悪い行動を止めただけに過ぎません。何故相手がそんな体罰を振るうほどの悪い事をしたのか?それを理解しなければ完全なる解決策にはなりません。

例えば、部活などの練習に真面目に取り組まずチームの足並みを悪くしていた学生がいたとします。その学生は友達の誘いで軽い気持ちで部活に入りましたが、ただ練習が厳しさから身に入らず、辞めようと思っていたのですが、辞める事を裏切り行為と思っていた先輩がいて、「途中で逃げ出す事は甘えだ」と辞めさせてくれるどころか、逆に練習量が増え、先輩がつきっきり監視するようになるようになりました。

そういう事情を知らない部活のコーチが練習を真面目にやらず、かつチームの迷惑になっているその学生に体罰を振るえば、本当にその体罰というのが妥当かと言えば、それは違うと思います。

体罰が賛否両論で留まっているのはこういうところで、体罰は相手の行動を抑制出来ても、相手の考えを良い方向へと導く事は出来ないのです。つまりもう二度と同じ過ちを繰り返さない為にも、何故、その人が体罰を受けるほどの悪い行為をしたのか?その背景事情について理解しないといけないのです。

先の先輩からの指導による原因以外にも、体操服を持ってこなかった学生に対し、体罰をしたら、後々家庭の経済力が原因で体操服が買えない事を知るケースや、イジメを受けて反撃したら、反撃した所だけを先生に見られ、イジメの被害者にだけ、体罰が振るわれたケースもあります。

体罰が問題視されるのは、その原因の解明を怠っているからだと私は思います。何故悪いのか、そしてそういう悪い事を起こしている原因について理解し、再発防止に努めなければ、今回だけに留まらず、また同じ事が起こり、イタチごっこになりかねません。更に言えば、体罰をしていればOKと考えている人であれば、先の練習に強制的に参加させられている学生からすれば先輩からではなく、コーチにまで体罰が振るわれ、体操服が買えない学生もお金が貯まるまで体罰を受ける形になり、理不尽な痛みを受け続ける事になります。最終的には痛みに耐えられず自殺したり、逆に反撃して傷害事件にまで至る可能性があります。

相手の背景事情を理解する上で必要な事

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ただ体罰を振るっている人の中には「やむを得ない事情があるのなら、その時に話せば良いのではないか?」と感じる人がいると思いますが、そんな簡単な話ではない場合があります。

「どうして、こんな事をしたんだ!!」

体罰を振るう人の中には、このように起きた原因に問いだす事を”しない”人がいます。一方的に相手が悪いと言い、「もう二度とするんじゃねえぞ」と言って終わりにする人もいれば、イジメを受けている人に対し、「イジメられないように努力しろ」「イジメられる原因がお前にあるんじゃないのか?」と論点のずれた対応をする人もいます。また別のケースでは体育会系で結果を出していない生徒と出している生徒が衝突した場合、結果を出している人の意見を採用するケースもあります。

体罰を振るう人の中には自己責任論や成果主義を優先し、原因を調べる事を怠っている人がいます。その結果、体罰を受けている人の気持ちを理解する機会を失い、被害者が耐え切れず、自殺や傷害事件、または自分の受けた仕打ちを録音し、懲罰委員会から指摘を受け、ここでやっと自分の体罰が不適切だったという事に気づくのです。

被害を受けている学生の立場からすれば日本の教育システムでは、イジメを受けても、「イジメによる自殺との因果関係は確認できなかった」とイジメがあった事は周知の事実なのに、遺書が残されていなかった事で、イジメによる対処が正常機能しない事を多くの人達が知っています。

その為、証拠がない、または告発した場合、更なる仕打ちを受けるのではという被害者の泣き寝入りによって体罰が成立している場合があります。先の録音のケースもボイスレコーダーやスマホがないと出来ませんし、学生がそんな高額品を持っているなんて稀であり、運動量の激しい体育会系の練習で精密機械を持ち合わせるのも学生からすれば酷な事です。

その為、体罰をする指導者は相手からの告発を待つのではなく、なぜ体罰を振るわれる程の悪い事をしたのか、その人に問いかける事をしないといけません。また皆の前で言えば、報復という形でやられるリスクがある為、人のいない場所で二人きりで話すよう促す事も大切です。体罰を有効にする為にはそんな相手への配慮が欠かせないと思います。

体罰ばかり受けていた人は今後どのように育つのか?

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体罰のもう1つの問題点として体罰を受けていた人達の社会への不適合性があります。

通常厳しい練習に耐え抜く為、結果を出す為、体罰を行い、その結果、良い成績を出してきた人達も沢山いると思います。ただそれはスポーツの世界だけの話です。

スポーツというのは年齢があがれば上がるほど、体力が衰え、成果をあげづらくなります。その為、スポーツの世界で成果をあげられるのは若い世代までで、高齢になればいくら体罰で叩いても成果をあげる事は出来なくなります。

つまり、いずれスポーツの世界から身を引き、会社やボランティアなどそういうビジネスの中に身を置くようになると思います。ただ体罰を受けてきた人達の中には、「スポーツの世界では規律を乱す人には除名したり、または体罰で対処してきたけど、ビジネスマンとして働く場合、それだと犯罪になるから、どうしたら良いのか分からない」と今までのやり方が通じず、どのように社会に溶け込めば良いのか分からない人がいます。

または先のようにスポーツとビジネスは違うを認識せず、会社の中でも同じように暴力や罵倒などで人を指導する人もおり、それにより訴えられたり、または人をうつ病に追い込んだりして、一向に自分の教育指導が評価されない事になってしまいます。

極端かもしれませんが、ビジネスというのはスポーツのように答えがなく、一概に言われた事をやっていれば上手くいくわけではありません。また成果をあげていなくても、組織で活動する以上、ミスを犯した人の責任だけでなく、ミスを事前に防げなかったグループのメンバーにも責任があるとされるのがビジネスであり、体罰のように暴力や暴言で済まされる話ではないのです。またビジネスはスポーツとは違い、うつ病になれば休めますし、暴力を振るわれれば訴える事が出来ます。近年ではブラック企業を取り締まる為、暴力を受けた場合の秘密録音は法律的に許されており、暴力や暴言を主体にビジネスをしていくのは間違っているのです。

勿論、若い世代、体罰を受けながらもビジネスに身を置いてから考えを変え、成果をあげている人が大半だと思いますが、本来スポーツというのは試合に勝つだけでなく、精神を鍛え、社会で必要とされる精神を築く意味合いも含まれています。しかし体罰というのはそんな社会に溶け込む上での弊害になっており、スポーツマンシップに反した考えを根付かせる事になっているのです。

体罰の頻度が多いと性格に悪影響を及ぼす

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結果を出す為にやむを得ず、体罰を行ったのであれば、仕方がない面もあるとは思いますが、体罰を中心とした教育指導だと、それを受けてきた人達は痛みに伴う指導しか知らず、将来社会に出て、部下や子供を持った時、同じような事をしてしまうリスクがあります。

虐待を受けた人は自分の子供にも虐待をしてしまう、という話がありますが、これは幼児の時、自分の受けた教育が自分の子供にまで影響を及ぼすという、人を指導する上で必要な経験を身につけられなかった事が背景にあります。

体罰も同様に、日常的に行っていれば、受けている側からすれば、痛みを伴う指導しか経験できない事になり、それ故、体育会系の世界であれば通じても、学校を卒業し、社会人になると体罰以外の方法で人を指導しないといけなくなり、どうすれば良いのか分からなくなります。

子供へのしつけについても同じです。体罰への頻度が大きければ、今は親の方が正しくても、高齢になり、介護が必要になった状態になると、果たして正しい判断で自分の介護をしてくれるかどうかが疑問が出てきます。症状が分からないせいで「甘えるな」と言われ、物忘れが激しくなり、「どうして覚えられないんだ」と過去良かれと思った事が、立場が逆転した事でこの年になって痛みを伴う介護を受ける事になるなど、虐待と体罰の境界を理解しなければ、悲惨な結末になると思います。

体罰やしつけにおける問題点のまとめ

体罰や過剰なしつけがクローズアップされる場合、必ずと言っていいほど、体罰は必要か否かという論争が起こると思います。

ただ体罰というのは、行き過ぎれば自殺、傷害事件、または自分が追いつめられる程の罰を受けるところもあり、多用は受けた人にも悪影響を及ぼします。ただそういう短所がありながらも、体罰を肯定する人は「スポーツを指導する人の大変さを理解していない」と言って、体罰を正当化します。

ただ個人的にこの問題は必要か必要でないかの有無ではなく、どのくらいの頻度で体罰をするか、そこに焦点を当てるべきだと思っています。

先ほども言ったように体罰は社会においては犯罪です。会社で暴言や暴力は処罰の対象であり、体罰で物事を進めていくうえでは限度があります。それなのに体罰に対し反対して言う人の意見を聞くと「子供の事しか考えていない」「体罰を単なる暴力としか見ていない」と結果を出す上では必要な取り組みだと体罰肯定者は言いますが、それが通じるのは若いうちだけで、スポーツの世界から身を引いたら、別の方法で人を指導する必要があります。つまり批判している人もそうですが、反論している人も反論している人で、どっちもどっちという事なのです。

結局のところ、体罰だけでは生きていくうえでの教訓を得るには限度があります。その上で体罰を主体とせず、人を褒めたり、また生きる上でのスポーツという考え方を築くなど、痛みを伴うやり方以外の方法で人を指導する事が必要だと思います。

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